私がなぜ摂食障害になったか

こんにちは!

 

今日は前回に引き続き、私の摂食障害についてお話ししたいと思います。

 

私は今までの人生の中でけっこう色々な経験をしてきているほうだと思いますが、そんな私が未だに一番孤独で辛いと思う経験ナンバー1は、摂食障害だった5年間だと思います。

 

ことの始まりは私が18歳の時・・・

 

高校の卒業を迎えて、今後の進路を考えなくてはいけない時期。

 

4歳からクラシックバレエを習っていて、小学校の高学年になる頃には、プロになることを目指して真剣にやっていました。

 

私はもともと身体が細く背も低く、何を食べても太らない体型だったので、小中高では特に体型を気にすることはありませんでしたが、18歳ぐらいで背が一気に伸び始めた頃から、段々体重も増えて行って、女性らしい体つきになって行きました。

 

普通に考えれば、女性として身体が変化して行くことは当たり前のことだと思いますが、それまで、「バレエをやっている細いみゆうちゃん」として知られてきた私だったので、家族も含め、周りからの反応は厳しい物でした。

 

バレエを真剣にやって行くには細いのは当たり前。

 

バレエの世界では(少なくとも私のいた世界では)、太っている=恥じるべき。普通に扱われる権利なし。という考えをみんな持っていました。

 

なので、前よりもぽっちゃっとした体型になっていく私に対して、4歳からお世話になっていて、第2の母親のような存在のバレエの先生からは、

 

「また太ったんじゃないの?」

「太ってんだから、当然お昼は抜きなさいよ」

 

などと言われるのは当たり前になって行き、公演のリハーサル中に、50人ぐらいの前で体重計に乗らされて、少しでも体重が増えていたら批判されるなど、かなりイジメに近いようなこともされましたこともありました。

 

だからと言って、大好きなバレエを辞めることはできない。

 

もの凄く狭いバレエの世界では、子供の時からお世話になっている先生を離れて他の先生に付くことは、すぐに悪い噂が広まってしまうので不可能に近いんですね。

 

またそのころ私の将来に期待している母親からも、体重が増えたことに対して批判されるのは日常になって行き、私が息抜きできる場所は段々無くなって行きました。

 

その年の冬・・・

 

クリスマスの公演で男性とペアで踊ることが決まったことをきっかけに、もの凄いダイエットをして、1ヶ月で6キロほど落とすことに成功しました。

 

その時は、自分の努力と周りに自分を認めてもらえたことへの優越感に浸っていましたが、その頃から私の知らない所で、確実に何かがおかしくなって行きました。

 

まずその頃から、体重を気にしなくてはいけないにも関わらず、一度に食べるお菓子の量が段々増えて行きました。

 

そしてそれから、家に買い置きしてあるお菓子だけでは物足りなくなってきて、一人でコンビ二に行くようになるのですが、最初はケーキ一個とポテトチップ1袋ぐらいだった量が、気付くと一回の買い物で3倍ぐらいの量を買うようになっていました。

 

最初の頃は、ケーキ一個とお菓子一袋で満足していたのが、次第にケーキ3、4個は普通になって行き、ポテトチップなど、部屋にいる時にずっと食べ続けているのが当たり前になりました。

 

食べたい欲求を抑えることができないのでどんどん食べる量が増えて行きましたが、それと同時に、食べた時の満足度は少なくなって行き、ただ食べ物を口に入れているといった感覚になって行きました。

 

その頃からバレエのレッスンも親や先生に嘘をついてさぼるようになり、その時間に何をしていたかと言うと、コンビニなどでお菓子などを沢山買って、歩きながらそれを食べたりしていました。

 

そしてそれを食べ終わると、次に目に入ったお店に入ってまた大量の食べ物を買う・・・

 

それを食べ過ぎて気分が悪くなるまでやり続けるというのがパターンになっていきました。

 

そうゆう行動をしている自分が、

何かおかしい。
狂ってる。


と思いましたが、だからと言ってどうすることもできず、ただ欲求に身を任せるしかありませんでした。

 

そのような状態が続いて少し経ったある日。

 

明らかに症状が悪化したと思った瞬間がありました・・・

 

家に一人でいた時に、食べたい症状に駆られて、冷蔵庫にある物を片っ端から口に入れて行ったんです。

 

でも何を食べても味はせず、ただただ食べ物を口に入れて行くといった行動を繰り返しました。

 

そして最後に食パン2斤を何も付けずに食べ尽くしてしまった時は、本気で怖いと思ったのを覚えています。

 

食欲を自分でコントロールできなくなってきていること。

食べている時に味が分からないこと。

ただ無心で口に食べ物を入れる自分。

 

また、どんなに食べても満足感や満腹感を全く感じないことに対して、怖い、何とかしたいと思っても、それを誰にも打ち明けられず、孤独感だけに苛まれる日々がこの後5年間続くことになります。

 

今回は、私の摂食障害がどのように発生したかについてお話ししました。

 

ネガティブなエピソードが多いですが、私の話をシェアすることで、メンタルヘルスがどれだけ影響を及ぼす可能性があるかを知ってもらえたら嬉しいです。

 

次回のブログでは、私がどのように自分で摂食障害から回復できたかについてお話ししたいと思います。

 

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心の病から脱出するきっかけとは

こんにちは!

 

今回は、精神障害についてお話ししたいと思います。

 

私は19歳から5年間ほど、摂食障害だったと思います。

 

どうして「だったと思う」という言う方をするかというと、専門家にそう診断されたわけではなく、当時の症状から多分そうだろうと自分で思うからです。

 

最終的に専門家に行かずに治すことができたのですが、今思い返すと、逆に医者などに行かなくて良かったなと思います。

 

もし、何かおかしい?と思って医者に行っていて、「摂食障害」です。

 

と言われていたら、

 

それだけで自分はやっぱりおかしいんだ。自分は障害があるんだ。

 

という思考回路になってしまって、何をするにも「障害」という言葉を意識してしまっていたと思います。

 

私は個人的に、●●障害や●●症と診断されている物の中には、自分で治せる物や環境の変化などで自然に治って行く物もあると思います。

 

例えば、もし恋人と別れたとします。

 

そうすると、寂しさや辛さから寝れなくなることもありますよね?

 

そのような状況の時にもし医者に行ったら、「不眠症」と診断されて、睡眠薬を場合もあると思います。

 

すると、自分は「不眠症」だから寝れないんだ。と思ってきてしまい、常に睡眠薬を取らないと寝れなくなってしまう状態に陥ってしまうケースもあると思います。

 

でももし医者に行かずに自分で失恋からの寂しさを乗り越えられたり、新しい彼氏ができたりすれば、医者に行かずに自然に治すことが出来て、自分が「不眠症」かどうかも分からないまま、「失恋で寝れない日が続いただけ」という風に思って終われますよね。

 

ここからも分かる通り、同じ精神状態や状況であっても、医者に行って診断されるかされないかで、その人の生活が大きく変わってくることもあるんです。

 

●●症だと診断された瞬間・・・

 

自分と他の人との間に大きな壁ができたような感覚になって、自分は違うんだ。おかしんだ。という思考回路になってしまう。

 

もちろん、きちんと専門家に診断してもらって薬を取った方が良い病気もあります。

 

でも本当は自分で治せる物でも、●●症だと診断されてしまったことで、治すのに時間が掛かってしまっているケースも多いと思います。

 

また、先ほどの「不眠症」の例からも分かると思いますが、●●症だと診断されると、その瞬間からそのことだけに着目してしまい、そもそもなぜ「不眠症」になったのか、その理由に目を向けず、

その症状だけを治そうとしてしまう傾向に陥るケースをよく見ます。

 

でも●●症になったそもそもの理由は、不眠症もそうですが、精神的な物から来ていることも多いんですね。

 

なので、そのメンタル的な物に向き合って何かしら行動を起こせば、自分で治すことは可能な物も沢山あると思います。

 

またそれとは逆に、「何かおかしい」「なんか辛いな・・・」と思う状態が続いていたとしても、専門家に診断されていないから、「大したことない。自分は平気だ。」と自分に言い聞かせてしまって、そのことに向き合わずに、何も行動に起こさない人も多いと思います。

 

身体がだるかったり、疲れやすかったり、動機が激しくなったり・・・自分で自分をコントロールするのが難しい時などはあっても、特にこれ!と言った症状が表に出てこないことが多いので、

 

「こんなこと、誰かに相談する程のことでもないしな」

 

とか、

 

「自分の頑張りが足りないだけだ」

 

と思って、流してしまいがちです。

 

でもそのような状態を自分の頑張りだけで治そうとしても、治すことは難しいケースが多いんですね。

 

もちろん、環境が変わることで自然と治って行く場合もあります。

 

でも殆ど場合は、そのような症状が起きている、そもそもの理由を認識しないと、無理して頑張るだけではなかなか治りません。

 

今回私が、なぜ自分の「摂食障害」について話そうと思ったかというと、

 

●●症だと診断されたことで、生きにくくなってしまっていたり、自分はダメなんだと思い込んでしまっている人や、何かに苦しんでいて、何とかしたいと内心思っているにも関わらず、自分は平気だと自分を振り立たせる癖がついてしまっていることからなかなか行動に起こせない人に向けて、メッセージを送りたいと思ったからです。

 

私の話をシェアすることで、そのようなことで悩んでいる人の何かのきっかけになってもらえたら嬉しいです。

 

今回お話しした私の摂食障害についての詳しいお話(何が理由で発生したか、またどのように自分で治すことが出来たか)は、次回のブログでお話ししたいと思います。

 

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グレムリンとは? 自分の心の中のもう一人の自分

こんにちは!

 

今日は、グレムリンについてお話ししたいと思います。

 

皆さんグレムリンと聞くと、何だか全く分からない人もいると思いますし、ずっと前に映画で「グレムリン」という物があったので、それを観たことがある人はそれが思い浮かぶと思います。

 

でも今日お話しするグレムリンとは、みんな一人一人持っているもので、自分の心の中で色々つぶやくもう一人の自分のような物です。

 

ではこのグレムリン、どういう存在の物なのかというと・・・

 

例えばダイエットを始めようと思った場合。

 

お気に入りのスカートのボタンが閉まらなくなってきたことに焦って、今度こそ本気で痩せるぞー!と意気込みますが、次の日いざダイエットをやるとなった時、

 

「でも、どうせ痩せたって別にだれに褒めてもらえるわけでもないしな」

「前もすぐ断念しちゃったから、どうせ今回も長続きしないだろうな」

 

というような考えが頭をよぎって、やる前から断念してしまうことってないですか?

 

これがグレムリンの仕業なんです。

 

グレムリンは、自分が苦手だったり、あまり乗り気ではないことをやろうとする時にそっと出てきて、あなたの心の中で、やろうとしていることをやりにくくしたり、諦めてしまうようなコメントをつぶやく存在なんです。

 

グレムリンの口癖は殆どの場合、「どうせ~だから」というものです。

 

「どうせ褒めてもらえないから可愛い格好してもしょうがないじゃん」

「どうせ飽きっぽいから習い事始めてもお金の無駄でしょ」

「どうせ頭悪いから本読んだって分かるわけないわ」

「どうせモテないし、ダイエットしたって意味ないでしょ」

「どうせ合コン行ったって、緊張して喋れないから行ってもしょうがないよ」

 

など、

 

まるでもう一人の自分がいるかのように、頭の中でつぶやきが聞こえるのを経験したことがある人は多いと思います。

 

ではグレムリンは何で自分の中に存在するのか?

 

それは、潜在意識にある記憶が理由なんですね。

 

そしてその記憶は、辛かったり悔しかったり、また悲しかったりと、基本ネガティブな物が当たります。

 

例えば、子供の頃に友達に無視された場合。

 

その時に感じた辛い気持ちが潜在意識に残ってしまうことで、大人になってからも合コンや飲み会など、自分が知らない人がいる場所に行く時にグレムリンが出てきて、

 

「どうせ話聞いてもらえないんだから、行ったってしょうがないでしょ」

 

とつぶやかれる。

 

そうすると、何でか理由は分からないけれど、合コンや飲み会などに行く度にすごく緊張してしまったり、あまりの居心地の悪さから行くのを断念してしまったりしてしまいます。

 

またこれが長い間続くと、それが当たり前のようになってきてしまい、それがまるで自分の性格だと思い込んでしまっている場合もあります。

 

例えば、自分は飽きっぽいと思っていて、それが元々の性格だと思っている場合でも、以前親に「あんたは何をやっても不器用だね」と言われて悔しい思いをしたことが原因で、何か新しいことを始めようする度にグレムリンが出てきて、

 

「どうせまた失敗で終わって悔しい思いしても知らないよ」

 

とつぶやかれることで、知らず知らずのうちに自分は飽きっぽいから何も続かないんだと勘違いをしてしまい、それが事実だと思い込んでしまっているケースもよく見ます。

 

私自身も、昔は沢山の数のグレムリンを持っていました。

 

でもグレムリンの存在を知って意識するようになってから大分少なくなりましたが、今でもちょいちょい出てくるグレムリンがいます。

 

それは、

 

「どうせ人見知りで緊張するから行ったって楽しくないよ」

 

小さい頃から高校卒業まで習っていたバレエの先生がとにかく礼儀に厳しい人で、挨拶の仕方から振る舞いまで細かく注意されていたことから、段々人と接するのが怖くなってきてしまい、人と話す時に緊張してしまう傾向があるので、知らない人が多い場に行く時にこのグレムリンがよく出てきます。

 

ではこのグレムリンのつぶやきを止めるためにはどうすれば良いか。

 

それは、まずグレムリンの存在を認識することです。

 

どうするのかと言うと、まずグレムリンがどういう状況で出てきて、どういうことをつぶやく傾向があるか考えます。

 

そして次に、グレムリンがいつ作られたのか、また何が原因で出来たのか、過去にあった辛かったことや悔しかった出来事などを振り返ってみます。

 

そして思い当たる思い出を見つけたら、その思い出が原因で自分のグレムリンが存在するんだと認識します。

 

これだけです。

 

この後にもいくつかステップはありますが、この2つのステップを踏むだけでもグレムリンのつぶやきを少なくする効果は大です。

 

グレムリンのつぶやきが少なくなることで、今までなかなか出来なかったことができるようになったり、新しい自分を発見できたり、新しいことに挑戦しやすくなると思いますので、ご興味がある方は是非試して見てください。

 

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新年の抱負を今年こそ達成するための簡単なコツ

明けましておめでとうございます。

 

新しい年を迎え5日ほど経ちましたが、みなさん年末年始はどのように過ごされましたか?

 

年明けと言うと、その一年の抱負を決める方が多いと思います。

 

特にアメリカでは年末になると、あちこちで来年の抱負についての話題を耳にするようになり、テレビを観ていても、「来年は必ず痩せると言う抱負のために・・・」を謳い文句にして、もの凄い数のダイエットに関する商品のCMが流れているのに気付きます。

 

それに影響され抱負を決める人は多いですが、私は正直、抱負や目標を決めるのは好きではありません。

 

私も以前は毎年その年の抱負を決め、張り切って紙に書き出したりしていましたが、抱負を達成したことが一度たりともないことから抱負を決めるのをやめました。

 

抱負を達成できず、自分を責めるのが嫌になったからです。

 

面白いことに人間というのは、改めて抱負や目標を立てようとすると、無意識に自分が達成できないことを設定する傾向があるんですね。

 

私も以前は、達成できない目標を無意識のうちに立ててしまっていました。

 

またどこかで、

「自分はできない人間なんだ」

と言う考えがあったので、達成できない目標を決めることで、

「ほらね、やっぱりできないじゃん」

と自分にそう思い込ませるきっかけを無意識のうちに作っていたと思います。

 

それに気付いてからは、抱負や目標を立てるのを一切やめて、その代わりにその年のテーマを決めることにしています。

 

これは、7年ほど前に取っていたMindset(思考態度)のクラスで学んだ方法ですが、テーマを決めることで、自分が思い描く一年になりやすいようになります。

 

また、ただ一年を何となく過ごすのではなく、意味がある一年にしやすくなりますし、何か選択をしなくてはいけなかったり混乱した際の道しるべとして使うこともできます。

 

テーマを決める際には、自分がその年どう言う気持ちで過ごしたいと思うのか、どう言う一年になって欲しいかを元に決めると良いと思います。

 

テーマは1つの言葉でも良いですし、いくつかの言葉でも短い文章でも構いませんが、あまり欲張り過ぎて長い文にしてしまうと、思い出したい時に思い出せないと困りますので、自分がパッと思い出せるぐらい簡単な物を選ぶことをお勧めします。

 

因みに私の2年前のテーマは「情熱」、去年は「繋がり」、今年は「流れに任せる」です。

 

知らない人がパッと見たら何のことだか分からないと思いますが、私に取ってはとても意味のあるテーマです。

 

特に今年のテーマは私に取って、一人で頑張り過ぎず、何に関しても波に逆らわずに身を任せると言う意味があります。

 

テーマを決めることは私のお客様にもよくお勧めしていることなので、ご興味がある方は是非やってみてください。

 

とはいえ・・・

 

お客様の中で、試しては見るものの、テーマをパッと簡単に決められない方が多いのに気づきます。

 

私も今ではテーマをすぐに決められますが、最初初めてやろうとした時は、なかなか決められなく苦労したのを覚えています。

 

ロジカルな思考が邪魔をして、自分が本当に望んでいるテーマに行き着くことができなかったんですね。

 

そんな時に助けになったのが、ジャーナリングです。

 

ジャーナリングを日本語に直訳すると「日記を書く」ですが、ジャーナリングは、一般的に自分の気持ちや思考を書き出すことを指します。

 

ジャーナリングは、普段使わない脳の部分を刺激することで、ただ普通に考えるだけでは浮かばないアイディアが浮かんだり、普段気づかないことに気付けるきっかけになるため、コーチングの世界でよく使われます。

 

また瞑想のように、スピリチュアルな面でもジャーナリングを使う方もいらっしゃいます。

 

しかし何かを書くと一言で言っても、誰でもペンを取って何も考えずにサラサラとペンに身を任せて文章を書けるわけではないですよね。

 

私も基本文章を書くのが苦手なので、何も考えずに何かを書くことはできません。

 

そんな私の助けになってくれたのが、ジャーナリング用の質問です。

 

その質問と言うのは、ただの質問ではなく、普段の生活ではほぼ聞かれないような質問です。

そのような質問を投げかけられて深く考えることで、既成概念から抜け出して物事を考えることが出来て、普段気づかないことに気づくことが出来ます。

 

私がジャーナリングの効果を知ってから大分経ちますが、この5年ほどは、私のお客様にもコーチングのセッション後の宿題としてジャーナリングをしていただいくことがよくあります。

 

そのため、今ではジャーナリング用の質問が100個以上になりました。

 

ジャーナリングをしたお客様からは、

  • 「普段考えないようなことを考えることで、思考や物の見方が変わった」
  • ジャーナリングが、セッションの宿題で一番楽しかった」

と言うお言葉をよくいただきます。

 

それぐらいジャーナリングは効果があるんですね。

 

今日はそんな質問の中から、今年のテーマを見つけるのに相応しい質問を1つシェアしたいと思います。

 

質問:あなたが持っているどの部分の可能性を見て見ぬ振りしていますか?また、もしその可能性を受け入れたら、あなたの人生はどのように変わると思いますか?

 

ご興味がある方は是非この質問を使ってジャーナリングをして、今年に一番相応しいテーマを見つけてください。

 

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誰かの言葉に傷ついた時に読んで欲しいブログ

こんにちは。

 

今回は、先月私が人間関係について気付かされたことについてお話ししたいと思います。

 

人間関係についての悩みは、私のお客様からもよくご相談をいただく物の一つなので、人間関係で悩んだり、「相手に何かしたかな?」と心配になった際に参考にしていただけたらと思います。

 

私は先月、自分の仕事の参考にするために、友達や知り合い20人に、私の特徴やどのような時に私に連絡をしたくなるかなどを教えてもらうようお願いしました。

 

お願いしたのは、日本人が10人と残りの10人はアメリカ人や他の国の方だったのですが、人種に限らず皆さんから、

 

「心が折れそうな時に話をしたくなる」

「物事を冷静に見た上でのアドバイスが欲しい時に連絡したい」

 

など心温まる言葉をもらい、この仕事をして本当に良かったと改めて感じました。

 

しかしその中で一つ、私がアメリカに来て間もない時に知り合い、それから25年近く経った今でも連絡を取り合ってる日本人の友達のMさんからの返事は、他の物と違っていました。

 

もちろんポジティブなことも書いてくれていたのですが、その文章の最後に、「マウンティングがたまに怖い」と書いてありました。

 

私は誰かの性格や特徴を説明する時に、マウンティングと言う言葉を使ったことがないので(日本では頻繁に使われている言葉のようですが)その友達にそれがどう言う意味か教えて欲しいと返事を送ったのと同時に、自分でも検索をしてみました。

 

そこで見つけたのは、

 

「会話を通して自分が優位であることを相手に伝え、上下関係を示すという行為がマウンティングに当たる」と言う物。

 

これを見た時には、ただただショックだったのと、長年信頼して来た人に裏切られた感が入り混じり、怒りさえも感じました。

 

今まで良かれと思ってシャアしてきたことや、興味を持ってくれて質問して来てくれたことに一生懸命答えて来たことを、一気に否定されたような感覚でした。

 

結局Mさんからは、マウンティングがどう言う意味なのかについての返事はなく、その代わりに、

 

コーチングってそう言うことだから悪気はないと思うし、(中略)他の友達はそんな風に思わないかもしれないし、そもそも直接本人には言わないだろうしね(後略)」

 

と代わりにフォローのメッセージが送られて来ましたが、このメッセージでも「そもそも直接本人には言わないだろうしね」と書かれていたことで、Mさんが私に抱いている気持ちだけでなく、彼女が知らない他の友達が私に抱いている気持ちについても悪く言われたような気持ちになり、更に傷付きました。

 

それから後の丸1日は、あまりのショックと頭の中でぐるぐる回る思考に囚われ、何をしてもその思考から抜け出せない状態だったのを覚えています。

 

「私の何がいけなかったんだろう?」

「私何か嫌なこと言ったっけ?」

「あの時に言ったこと、言わなかった方が良かったのかな?」

「私、知らない間に偉そうな態度取ってたのかな?」

 

とにかくありとあらゆる思考が頭の中を周り、悲しくなり悔しくなりイライラしたりして時間が過ぎて行ったのですが、何日か経って気持ちが落ち着いて来たある時、フッと気付いたんです。

 

私じゃない。彼女なんだ。私がマウンティングしていると感じた理由は私の行動にあるのではなく、彼女がそう言う風に感じる何か他の理由があるからなんだ

 

これに気付いた瞬間、今まで私の視線から物事を見ていた状態から、Mさんの視線から物事みる状態に切り替わりました。

 

まるで映画の撮影のように、私の視点からMさんの視点にカメラが移動するかのような感覚でした。

 

その瞬間から、Mさんがなぜ私にマウンティングされているという気持ちになったのか、なぜ他の友達も私に対してネガティブな感情を抱いていると言ったのか。その他にも色々なMさんの気持ちが見えて来ました。

 

今の私は、この25年間の間に自分と向き合いメンタルを癒してきたお陰で、こうしてコーチとして人前に立って人に教えられるようになりましたが、Mさんと知り合った当時は自分に自信がなく、人と接するのが苦手で、いつも人を避けている状態でした。

 

Mさんとは出会ってからすぐに仲良くなり、一年後に彼女が違う州に引っ越してしまうまで殆ど毎日一緒に過ごしていた仲でしたが、Mさんがその5年後に日本に帰国してからは殆ど音信不通になってしまっていました。

 

しかし3年前に私が日本に帰国した時に、10年以上振りに再会することができたんですね。

 

その時の私はと言うと、たとえ連絡を取らない時間があったりお互いに状況が変わっても、Mさんとは一生変わらず友達でいられると確信していたので、今回のメールでマウントを取ってると言われたことに対して物凄く裏切られた感を感じましたが、Mさんの視点から彼女の気持ちを考えた時に以下のような気持ちの葛藤が思い浮かんできました。

 

3年前にMiyuと会って楽しい時間を過ごした時は、音信不通になっている間で色々経験して学んでいるMiyuがすごいなった思ったし、そういう彼女を応援したいって思った。でも今回メールをもらって彼女の特徴などを改めて考えた時に、フッと今の自分と比べてしまう自分がいて、素直に彼女の長所を教えてあげられない自分と、ちょっと嫉妬すら感じている自分がいた」

 

自分がMさんになったつもりで彼女の気持ちを考えたことで、今まで見えなかった彼女の気持ちがハッキリと見えました。

 

それが分かった後私はもう一度Mさんにメールを送り、3年前に会った時にどれだけ楽しい時間を過ごしたか、また長い間会っていなかった時間のギャップがあるので、私の変化に慣れないのも理解できると言うことを冷静に伝えました。

 

するとMさんから、自分もすごく楽しい時間を過ごしたこと、またマウントについてのコメントは、あまりに変わっていた私に戸惑いを感じて感情的に言ってしまったことで、ネガティブな意味で言ったわけではないと謝罪が書かれたメールの返事が来ました。

 

今回の経験で私が改めて気付いたことは、相手に何か言われたりされたりすると、自動的に自分が何か悪いことをしたのかと言う思考回路になりますが、自分が意図的に相手に嫌なことをしたのでない限り、問題は相手にあって自分ではないと言うことも多々あると言うことです。

 

自分がその状況にいると、自分の視点から相手や周りの行動を分析しようとするので、その思考からなかなか抜け出しにくいですが、ちょっと視点を変えて相手の視点から状況を見てみると、今まで見えなかった物が見えるようになるんですね。

 

そうすることで、自分は悪くないと確信できるかもしれませんし、もしかしたら逆に自分が知らないうちに相手を傷付けることを言ってしまっていたことに気付くかもしれません。

 

しかしどっちにしても、それが分かることで何かしらの行動に移すことができるので、ただ何もせず気分が悪くモヤモヤした状態をずっと引きずって行くよりもずっと良いですよね。

 

今回は、私の人間関係から気付いたことをシェアしました。

 

もし人間関係で悩んでいたら、是非参考にしてみてください。

 

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現実派だった私がスピリチュアルを信じるしかなくなった体験談

こんにちは!

 

今日は前回に引き続き、私がスピリチュアルになったきっかけとなった体験についてお話ししたいと思います。

 

まだ前回のブログを読んでいない方は、ぜひそちらも読んでみてください。

 

約5年ほど同棲していた彼が突然亡くなった後は、今までの人生では体験したことがないような不思議なことが次々と起こり、それを信じる信じないというよりも、信じるしかない!と思わざるを得ないような状態になりました。

 

私の妹は家族のなかで割と霊感が強く、見えないはずの物が見えたりするようですが、私は霊感などは全くと言って良いほどなく、大好きだった祖父が亡くなった時でさえ何にも感じなかったですし、亡くなった後祖父の家に行った時に暗闇の中で話しかけたり目を凝らしてみても、何にも感じなかったという酷さです。

 

でも彼が亡くなった直後は、4、5日ほど毎日不思議なことが起き、それから何年もして、また不思議なことを体験しました。

 

そのような不思議なことが起きた瞬間は、私はすぐに彼がしているのだと分かったので嬉しい気持ちでいっぱいになりましたが、後から他の人にその話をした時に、「怖い、聞かなければよかった・・・」と言われた物もあったので、今回は怖いと言われなかった出来事をシェアしたいと思います。

 

まず亡くなった後の次の日から、彼のためにテーブルに置いていた紙コップに入ったコーヒーが、私が出掛けている間にこつ然となくったりしました。

 

また亡くなって何日か経ったある日・・・

 

彼の物でごちゃごちゃになったベットに横になっていた時に、ふっとトイレットペーパーのくるくるっと取った物がベットに置いてあるのに気付きました。

 

私は基本トイレットペーパーはトイレでしか使わないのですが、彼はよくトイレットペーパーで鼻をかんだりしていたので、それがすぐに彼だと分かりました。

 

でも何でそこに置いてあるのかは分からなかったんですね。

 

その後何時間か経過してからたまたまベットの横の引き出しから物を引っ張り出して整理していると、彼との思い出を思い出して涙が出てきてベットに突っ伏して泣き出したのですが、その時に手を伸ばした先にあったのが、そのトイレットペーパーでした。

 

彼は私が泣くのを知っていて、そこに用意して置いてくれたとしか思いようがない出来事でした。

 

その他にも霊感の強い友達に、彼が私の横に立っているが見えるとか、強い物を感じるなどと言われ、2週間ほどそのようなことを体験したのですが、その後何かがぱっと消えたように何も起こらなくなりました。

 

でもそれから約4年ほど経ったある日・・・

 

私は交通事故で酔っぱらいに車をぶつけられてしまったんですね。

 

警察が来て相手は逮捕されたのですが、私の車は廃車だったので、当時仲が良かった友達に迎えに来てもらいました。

 

友達に家まで送ってもらい、保険会社などに電話をして一段落した時に、その子に「ありがとう」と軽くメールを送ったのですが、その直後にその子から電話が掛かってきました。

 

何で電話?と思いながら取ると、

 

「今すごいことが起きたから電話したよ!」と凄く興奮している様子。

 

その子いわく、私からのメールの返事をするために、「どういたしまして」と打とうとした所、間違って文字変換を押してしまった際に、全く関係ない亡くなった彼の名前が出て来たとのことでした。

 

その子は霊感が強く、亡くなった彼とも友達で仲良くしていたので、多分私のことを心配した彼が、心配していることを伝えたくてその子の携帯から知らせたんだと思います。

 

それまでの約4年間、彼は成仏していなくなったとばかり思っていたので、凄く嬉しかった反面、亡くなった後魂はどうなるのか。という疑問が新たに浮かんできて、またさらにスピリチュアルなことに興味を持つようになりました。

 

このようなことに対して、人によって違う考え方や解釈があると思いますが、私は彼はいつも私を見守っていてくれていると信じていますし、それで良いと思っています。

 

最後におまけの話になりますが、彼が亡くなる前に一番最後に電話で話したのは、実は私の今の旦那なんです。

 

旦那いわく、久しぶりに電話が来て、元気?最近どう?と言ったような簡単な会話だけだったらしいのですが、当時そんなに仲が良かったわけでもない旦那に、なぜ彼は亡くなる1時間ほど前に電話をしていたのかは今でも分かりません。

 

彼はその時に、旦那がのちに私を支えてくる一番の存在になることを分かっていたか、それともただの偶然なのか真相は分かりませんが、ただの偶然ではなくて、意味があると思うバージョンの方が素敵だと思いますし、私はこっちを選びたいです。

 

久しぶりにこの話をしましたが、今改めて思い出しても不思議な体験だと思いますし、スピリチュアルは本当に奥が深くて興味深い物だと思います。

 

今日は前回に続き、私がスピリチュアルに興味を持つきっかけになったお話でした。

 

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現実派の私がスピリチュアルを信じるようになった”きっかけ”

こんにちは!

 

今日はスピリチュアルについてお話ししたいと思います。

 

日本でスピリチュアルと言うと、カルト宗教のような物を想像したり、何か怪しくて胡散臭いイメージを持っている人も多いような気がします。

 

でもアメリカでは、スピリチュアルなことを信じない人もいる反面、スピリチュアルという言葉に対してネガティブな印象を持っている人がいる感じはないんですね。

 

私は個人的にかなりスピリチュアルだと思いますし、周りにもスピリチュアルな人が多いです。

 

でもアメリカに来る前や、アメリカに来た後もしばらくの間は、スピリチュアルと言う言葉とはほど遠い生活をしていました。

 

またスピリチュアルと言う物がどういう物なのかもよく知りませんでしたし、興味もありませんでした。

 

でも今から18年ぐらい前に友達からもらったディーパック・チョプラと言う人が書いた本がきっかけで、スピリチュアルな物に興味を持つようになります。

 

ディーパック・チョプラはアメリカでは凄く有名な人で、スピリチュアル界のカリスマ的な存在で、本も沢山出しています。

 

サイトに載っていたプロフィールをそのまま紹介すると・・・

 

医学博士。心と身体の医学およびウェービング分野における世界的な第1人者で、75冊を超える著者の多くがベストセラーで35カ国語に翻訳され、発行部数は2000万部を超える。

 

このプロフィールからだとどういう人なのか分かりづらいと思いますが、ディーパック・チョプラは医学博士で、スピリチュアルなことを医学的や科学的な面から分かりやすく教えている人なんです。

 

彼の本が人気があって共感出来る人が多いのは、それが理由の一つだと思います。

 

私が読んだ本は、もう手元にないので題名は分かりませんが、「自分の身の回りに起こることを偶然として見てしまえばそれまでだけれど、もしそれが偶然ではなく何か意味があるとして世の中を見たら、人生が変わってくる」という内容の物でした。

 

本の内容で今でも覚えているのは、

 

誰かのことを考え始めた矢先にその人から電話が掛かってくる状況について、普通だと、

 

「今●●ちゃんのこと考えてたら本当に本人から電話が来た。凄い偶然!」

 

と思うと思いますが、

 

ディーパック・チョプラはそれは偶然ではなく、何かに集中したり、誰かのことを考える時に人間から発せられるエネルギーによって起きる現象だと医学的な面から分かりやすく説明しています。

 

私はこれを読んだ時、今まで謎で疑問に思ってきたことが明確になった感覚がありました。

 

今まで色んな人に電話をする度に、

 

「今みゆうちゃんのこと考えてたよ」と言われることが多かったですし、

 

その時付き合っていた彼とも、10回のうち8回ぐらいの割合で、全く同時にお互いに電話を掛けることで繋がらず、再度掛け直さなくてはいけないことがしょっちゅうありました。

 

最初の頃は、何で掛かんないんだろう?と思ってイラつきながら掛け直していましたが、同時に掛けていることが段々分かってくると、掛からない時はまず速攻で電話を切って、相手から電話が掛かってくるのを待つようになって行きました。

 

すると絶対すぐ向こうから掛かってきて、電話を取った瞬間に、「今掛けてたでしょ?」と二人で同時に言うのが当たり前になっていたんですね。

 

その本には他にも、今まで考えもしなかったようなことが書いてあってすごく興味深い物でした。

 

私が読んだ本の題名が分からなくて申し訳ないですが、ディーパック・チョプラで検索すれば、沢山の本が見つかると思うので、興味がある方は是非チェックしてみて下さい。

 

では私の話に戻りますが、その本を楽しく読んだものの、それでスピリチュアルになったわけではないんですね。

 

その本を読んでから何年か経ったある日・・・

 

論理的にしか物を考えられず、スピリチュアルな物なんて全然興味がなくて、どっちかと言えば否定的だった彼氏が、その本だけでなく、他のスピリチュアルな本を真剣に読んでいるのを見ました。

 

あまりにビックリした私は、

 

「何やってんの?」

 

と聞いたら、

 

「いや、別に。ちょっと面白そうだと思ったから」

 

という返答が返ってきました。

 

私は、変なの?と思いましたが、特に気にせずにいたんですね。

 

でもそれから4ヶ月後に彼が突然亡くなってしまい、またその本について思い出します。

 

それを思い出した時に、あの時に何で彼があのタイミングで、それまで全く興味がなかった本を読んでいたのか、何となくつじつまが合う気がしました。

 

彼は無意識のうちに自分が亡くなることを分かっていて、それが理由でそれに関係する本を読んでいたとしたら・・・

 

と考えた時に、すごく納得できた自分がいたんですね。

 

これが、私がスピリチュアルに興味を持ち始めるきっかけとなった体験です。

 

この後にも沢山のスピリチュアルなことを体験したことでスピリチュアルを信じるようになった私ですが、今回スピリチュアルな話をしようと思った一番の理由は、私自身の体験をシェアすることで、スピリチュアルに興味がある人の何かのきっかけになればと思ったからです。

 

私の読んだ本に書いてあったことや亡くなった彼がしていたことは、もしかしたら偶然かもしれないし、何の意味もないかもしれない。

 

でも私はそれをスピリチュアルな面から見ることで、意味があると思えるようになり、人生が生きやすくなったと思います。

 

この世の中、科学で証明できない物は沢山存在して、それをどう考えるかは自分次第ですが、それを信じることで、人生観が変わったり、人生を少しでも楽に生きられる方法を見出せるのであれば、それも一つの方法ではないかと思うんですね。

 

私のお客様の中にも、スピリチュアルなことに興味はあるけれど、何となく周りの目が気になるという理由で、誰かに話したり調べたりすることに抵抗を感じるという方が結構いらっしゃいます。

 

もし私の体験をシェアすることで、興味はあるけど何か抵抗があるという人が、今まで疑問に思ってきたことに対しての答えを見つけられたり、何かを見つけるきっかけを掴んでもらえたら嬉しいです。

皆さんは、スピリチュアルを信じますか? 

 

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自分らしい人生を創る方法を見つけたい方や、本当の自分を見つけたい方のサポートをするため、女性限定メンタルヘルスケアオンラインサロンを運営しています。

 

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